31年

大したことはなにもない人生を振り返るためのメモ

母の話

母の話。母の話。
父ほど話すことがないように感じる。
仲が悪いのか?そんなことはない、毎年一緒に旅行をする。去年は香港、今年は台湾。旅行のプランニングは全部私がする。
存在感が薄いのか?聞かれればそんな事はない。強烈だ。
見た目が?そんなことはない。派手でも地味でもないごく普通、かどうかは判断しかねるが普通の明るいおばさんだ。
とんでもない毒親なのか?そんなこともない。いや、どうだろう。誰にとっても親は自分を育む養分であり、摂り過ぎてはいけない毒でもあるんじゃないか。
つまりはまあなんというか、一番近くて一番遠い他人だ。
見た目は中肉中背、丸顔、年の割に若くは見えるが、ひどく剛毛の癖毛を伸びるままにしている、その制御の利かなそうなヘアスタイルがまさに母を表しているように思える。
口癖「人生なるようにしかならないのよ」
好きな物「北杜夫インカ帝国
趣味「石集め。集めた水晶やらなんやらで祭壇を作ること」
特技「サスペンスドラマの犯人を当てる」
なんだかひどくいい加減な女だ。
母親というのはどれも同じだろうかアド街ック天国で紹介された場所に行きたがる。
娘はそれほどでもないが東京で働いている娘は大好きだ。東京で買ったものをあげるとひどく喜ぶ。
私が母の恋愛にブルースウィルスの毛ほどの興味がないのと同じく母は私の恋愛の話を聞かされるくらいなら再放送のサスペンスをみていた方がましなようだ。
先日父の命日にプラネタリウムが見たいとリクエストされた。
「丁度命日だし、あの人は星が好きだったから」といって指定してきた日は父の命日ではなかった。
本当に空気感だけで生きている女だ。
スカイツリーの眺めの良いレストランを予約して2人で昼からシャンパンを飲んだ。
小さい頃からインカ帝国が好きで好きで、短大を卒業したらとりあえずメキシコに行こうとスペイン語を勉強していたら父に出会って結婚してしまったこと、石が好きなのは母の父が子供の頃良く山へ採掘に連れて行ってくれたからだということ、31年母と付き合ってきて初耳な事ばかりだった。
私の驚きを酔っ払いの母は感じなかったようだ。
初めて母を母親としてでなく一人の人間として感じた。
ずっと合わないと思っていたけど同級生だったらもしかして、いい友達になれたのかもしれない。
そう思えた今年の父の命日(仮)だった。